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校長室通信

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2023/01/17

震災を語り継ぐ

| by 校長
 今日、あの阪神淡路大震災から28年がたちました。本校の教職員には、あのときの記憶がないものはいませんが、県内では震災を経験していない教職員も多くなりました。学校においても、震災から学んだことを語り、継いでいくことは私たち教職員の使命と考えています。今年もオンラインとはなりましたが1月17日に追悼集会を行いました。防災担当からパワーポイントにより震災発生時の様子を映像や写真を交えて子どもたちに伝えました。また、私からもそのときの様子や思いを話し、そして、全校児童、教職員とともに黙祷をし亡くなられた方のご冥福を祈りました。亡くなられた方への供養となるのは、何よりもあのときのことを語り継ぐことだと思います。今日1月17日が、地域や職場、ご家庭で若い世代と震災について語り合う日になったことを願っています。
 ~追悼集会での児童へのお話より~

 今から28年前の今日、1月17日の朝 午前5時46分に阪神・淡路大震災が起こりました。神戸市や阪神地区、淡路島などを中心に大変な被害がありました。

なくなられた方の人数は、6,434人、震災が原因でなくなられた方も1,000人近くあります。ケガをされた方の人数は、43,800人、壊れたり、焼けたりした建物の数は約47万棟と、とても大きな災害でした。

校長先生も山崎に住んでいて、そのとき、まだ寝ていたのですが、すごく大きな揺れでたたき起こされ、何が起こったのかわからないまま布団のなかで何もできず固まってしまっていたことを覚えています。あまりにも大変な地震だったので、その被害の様子を伝えるテレビ中継もすぐには入らず、どこがどうなっているのかわからない状態でした。その日のお昼休みにようやく職員室でテレビ中継を通じ神戸の街を見ました。テレビで映し出された神戸の街は、ビルが倒れたくさんの家が壊れ燃えている、これまで見てきたあの神戸の街とはかけ離れたすさまじいものでした。

 地震があった一ヶ月ぐらいあとに、ボランティアで神戸の小学校に行きました。電車の窓から見える街が焼け焦げてセピア色になった様子は、今でも忘れられません。学校に着くと避難をされている人たちでいっぱいで、体育館や教室に入ることができない人が、階段の途中にある踊り場で布団や身の回りのものをおいて生活されていました。それを見たときは言葉が出ませんでした。

たいへんな被害にあい、日常の当たり前をうばわれ、多くのものを失った大きな悲しみに襲われたとてもつらい地震でした。

 でも、そんなつらい状態にも負けず、被害を受けた人たちは、もう一度元気な街を取り戻そうとみんなで協力して立ち上がられました。
 兵庫県は、この地震で一番被害のあったところです。だから、兵庫県では他の県の人以上に、「命はかけがえのない大切なもの、絶対に大事にしないといけないものである」ことを実感し、「どうしたら地震から命や街を守れるか」「もし、地震にあったら次はどうするのか」など、この震災のことや震災から学んだことを、後から生まれて来る人たちや知らない人たちに語り継いできました。みんなも授業やお家の人から聞いたことを伝えていったり語り合ったりしてほしいと思います。

 それでは今から、震災で亡くなられた方々が安らかに眠れますよう、みんなで心の中で寄り添い祈りたいと思います。目を閉じて、静かに心を落ち着かせ祈ります。これを「黙祷」といいます。

それでは、1分間の黙祷を行います。全員立ちましょう。黙祷。

                  令和5年1月17日 波賀小学校長 髙井和也



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