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 校長室通信

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2020/07/01

今こそ、伝えたい

| by 校長

今こそ、伝えたい

 

 2008年6月下旬、私はブラジルにいた。関空から仁川~ロサンゼルスを経由し、サンパウロ到着までに片道36時間以上を要した。海外へは数回行ったことはあるが、このような長旅は初めてのことだった。

 ブラジルに着いて驚いたことは、近代的な都市であること、街に植物の匂いが漂っている(ガソリンがバイオ燃料のため)こと、英語はほとんど通じないが人々が明るく友好的であること、様々なルーツをもった人で溢れ、半袖の人もいればダウンジャケットを着ている人もいること等だった。飛行機の中でたまたま隣の席に座っていたブラジル人の男性と片言の英語で話し、お互いのメールアドレスを交換したら、数日後、ブラジルから温かいメールが届いたこともいい思い出である。

この時、私は兵庫県学校厚生会の運営委員として、ブラジル移民百周年記念式典に出席するためにブラジルにいたのだ。21日はサンパウロ市サンボードロモ会場で、22日はパラナ州ローランジャ市のパラナ移民センターで開催された式典に出席した。この二つの式典は、皇太子殿下(現天皇陛下)も出席されてお言葉を述べられたほど盛大なものだった。そして、23日はクリチバ市にあるパラナ州議会内で行われた記念祭に参加した。

この式典に出席して、特に印象に残ったことが二つあった。

一つ目は、「移民した欧米人は、まず教会を作った。日本人は学校を作った。」と聞かされたことだった。日本人がどれだけ学校を大切に思っているのか、学校がどれほど人々の心の拠り所になっているのかを改めて感じさせられた。

二つ目は、パラナ州の式典におけるロベルト・レキオン州知事の挨拶だった。「ブラジルは移民の国である。日本をはじめ、たくさんの国の人々の努力により、このような国をつくり上げることができた。しかし、中には自分の意に反して、連れてこられた方もあった。その歴史を変えることはできないが、この場で謝罪する。」と述べられたのである。

ブラジルの6月は冬の始め。南へ行けば行くほど寒くなったが、逆に私の心は春の訪れを感じるようだった。人種差別に抗議する世界的な潮流の中、今こそレキオン州知事の思いを伝えたい。

ブラジルでの新型コロナウイルス感染拡大が激増している報道を目にする度、現地でお世話になった方々の現状を案じるとともに、早期の対策・終息を願っている。

 

                          令和2年7月1日

                          校 長 藤井司郎


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