行為の意味
5月23日(木)に田植えを行いました。準備をしていただいた方々、当日植え方を教えていただいた老人クラブの方々に厚くお礼申し上げます。
私は児童に、「土に親しんでほしい。協力して植えてほしい。感謝の気持ちをもってほしい。」と呼びかけました。特に、協力という点で、高学年の児童が幼稚園児や低学年の児童に優しく声をかけ、手を携えている姿に「思いやり」の心を感じ、終会時にとても温かい気持ちになったことを伝えました。
そんな時、ふとあるCMを思い出しました。電車に妊娠されている方が乗ってこられたところから始まります。高校生は見ているだけで、他の方が席を譲られました。テロップには、「『心』は見えないけれど、『心づかい』は見える」と出ました。電車を降りた高校生は長い階段を通りかかりました。杖をついたおばあさんが登っておられました。高校生は一度は通り過ぎたものの、戻って手を差し伸べ一緒に歩きました。映像は後ろからでしたが、きっと優しい笑顔が溢れていたことでしょう。テロップには、「『思い』は見えないけれど、『思いやり』は誰にも見える」と出ました。そして、「その気持ちをカタチに」と結ばれていました。
この言葉は、とても重みのあるすばらしい言葉だと思います。後から、詩人で作詞家でもある宮沢章二さんが作られた「行為の意味」という詩の抜粋であったことを知りました。
頭では分かっていてもなかなか実行できないこと、恥ずかしさに負けてしまうこともあるようですが、田植えの時に見せてくれた「思いやり」の花が、様々な場面でたくさん咲いていくこと、そしてこれからも毎年咲いていくことを期待しています。
令和元年6月3日
校長 藤井司郎