えっ、そうだったのか!
かつて担任した児童のお母様に、約25年ぶりにお目にかかりました。近況を尋ねてみますと、その児童は、授産施設に元気に通っているとのことでした。私がこの児童を担任したのは、小学校3・4年生の時で、その後他市町へ異動したため、ご無沙汰してしまっていました。
先日、ある月刊誌で作家の東田直樹さんのことを知りました。東田さんは、重度の自閉症者であり、突然奇声を上げたり、無関係な言葉を発したり、公道で跳びはねたりと、まさに担任した児童と同じような日常であるようです。東田さんは、通常の会話はできないようですが、文字盤やパソコンを前にすると、高度な文章表現で、質問者の問いに見事に対応した内容を、ほぼ訂正不要な形で表現されるようです。文章から、多くのことを感じ、深く考えられていることが伺えます。幾つか掲載してみます。
「話したいことは話せず、関係のない言葉は、どんどん勝手に口から出てしまう。」
「自分の体さえ自分の思い通りにならなくて、じっとしていることも、言われた通りに動くこともできず、まるで不良品のロボットを運転しているようなものです。」
「してはいけないことなのに、何度注意されても同じことを繰り返してしまうのは、してはいけないと理解できていないのでなく、『自分が何かしでかす⇒何か起こる⇒誰かに注意される』この場面が、自分が行動を起こしたことによって成り立つ原因と結果の一場面となって強く頭の中に記憶されてしまい、やってはいけないという理性よりも、その場面を再現したい気持ちの方が大きくなって、つい同じ事をやってしまう。」
「何かしでかすたびに謝ることもできず、怒られたり笑われたりして、自分がいやになって絶望することも何度もあります。」
(東田直樹 2007 自閉症の僕が跳びはねる理由 会話のできない中学生がつづる内なる心 エスコアール)
これを読んで、私は自責の念にかられました。同じ失敗を何度も叱っていなかったか、児童の心の内をどれだけ理解していたのか。今になって気付きました。えっ、そうだったのか!
自分の思いを表現する術を持たず、その行動ゆえに大きな誤解を受けたままの辛い思い、その心の叫びをしっかり受け止め、共に生きる社会をいかにつくっていくか。私はこの児童から託されたように感じています。
令和2年9月1日
校 長 藤井司郎