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2020/01/27

凧あげ

| by 校長

凧あげ

                                     
 2020年(令和2年)のオリンピックイヤーが始まり、早一ヶ月近くがたちます。この冬は記録的な暖冬となり、雪を見ない冬が続いています。
 山崎南中学校は3学期が始まり、今インフルエンザがはやっています。今のところは大流行という状態ではありませんが、手洗い、うがい、教室の換気、マスクの着用を呼びかけ、これ以上流行しないよう注意していきたいと思っています。

 さて、私の家の前は田んぼが広がっており、電線の数も少なく、私が小さい時から、凧あげの最高のポイントになっています。TVゲームのはやっている今でも、毎年正月前後になると、近所の子が家の前に凧あげに来ます。今では「凧」といっても「カイト」の方になってしまっていますが、私たちが小学校の時は、近くの駄菓子屋さんに売ってあった「奴凧」でした。そんなに作りがしっかりしている物ではなかったので、買う時には必ず、竹ひごも一緒に買って補強しないとすぐに壊れる物でした。その凧に新聞紙で作った長い足をつけて、よくあがるように改造して使いました。その凧を大切にひと冬はもたさないと小学生の身には、そうそう買える物ではありませんでした。低学年の頃は、5,6年の誰かが補強をしてくれたものを使い、高学年になると低学年の凧を補強してやる。当たり前のような光景でした。
 そして、その凧をみんな並んであげる競争をするわけです。糸は、たこ糸の長いのなんかは買えませんから、家にあるミシン糸(当時、ほとんどの家の母親はミシンの内職をしているところが多く、だいたい各家庭にありました。)を棒に巻いて使っていました。上級生になるとそれはすごく高くあげていました。小学生だからそう感じたのではなく、今あげている子供たちのあげ方と比べても相当高くあがっていたと思います。そして、ミシン糸を使っていたから、毎回あげていると誰かの糸が切れるのです。糸の切れた凧は、時には山の中腹あたりまで飛ばされることもありました。そんなとき、みんなが凧を下ろし、一緒に取りに行くのです。不思議に思われるかもしれませんが、暗黙のルールでした。凧がなくなると明日から一緒に遊べなくなることをみんながわかっていて、何も言わずに凧を回収にいきます。ある時夕方から山の中腹まで凧を回収にいって薄暗くなり、みんな怒られたのを覚えています。
 そんな懐かしいことを、この正月に家の前でカイトをあげている子を見て思い出しました。子供たちのコミュニティーが素晴らしい時代だったなと思います。今の子供たちは、遊び方も全く変わっていますが、今風のよいコミュニティをつくって遊んでくれたらいいなと思います。私たち大人が、静かに見守り、自分たちでできることをしっかりとやっていく。間違っている時は、大人が遠慮なく指摘することのできるそんな人間関係のある田舎がいつまでも残るようにしていきたいなと思いました。
 本年も、保護者・地域の皆様、山崎南中学校の活動にご理解・ご協力・ご支援をよろしくお願いします。 
                                                           

令和2年1月27日
学校長 小林 琢哉



11:50
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